おまけ:お勧め本

前回は神様関連の本を紹介しましたが、他にも心が弱ってるときに読んでほしい本を幾つか紹介しておきます。 

 

2世達は中にも外にもなじめず、心がボロボロの子がとても多いです。

苦しさや寂しさが限界を超えると極端な行動に出てしまうこともあるでしょう。

でもそれが一時的な安らぎや気晴らしでしかないことも経験から痛いほど分かっています。

若いころの失敗は若気のいたりとして許されることが多いですが、負った傷は結局自分で死ぬまで抱えるしかありません。

特に健康を害することは絶対にやめておいてほしいです。(ダメ、絶対!)

 

心はある程度自分で鍛えることができます。(もちろん体も鍛えたほうがいいです)

親もダメ、友達もいない、そんなときはやはり本が強い味方です。

暴走してしまう前に本を読みましょう。 読むだけじゃ収まらないなら、筆者に手紙(メール)を書いてみましょう。 今はブログもツイッターもあるからもっと早く繋がれます。 そうやって自分の心に力を与えてくれる人たちとどんな形でも繋がりを持つようにしてみましょう。 それだけで心は少しずつ元気になれたりするのです。


(注)明らかに営利目的だったり、ネガティブすぎる内容は逆効果なので注意が必要です。

 

 

 

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息苦しさを感じたら読んでほしい本

(注)ここでの見解はあくまでも個人的な経験をもとにしたものです。

 

教会を逃げ出したいほど嫌いな2世はほとんどの場合、家庭の不和と貧困が大きな元凶になっています。

逆に家族間に強い信頼関係があったり、社会一般的な水準の経済的余裕があった場合は疑問を感じても教会の仲間同士でストレス解消したり、教会活動をすることでやりがいを得たりして自分を納得させる場合が多い思います。

 

これは一般社会でもよく見るパターンではないでしょうか?

人はとりあえず自分にとって居ごこちが良ければそこに安住し、変化は望まないものです。 

 

教会を逃げだしたいほどつらい、それは人が幸福に生きていくために必ず必要なものがそこには欠けている、“虚無”、”不安”、”恐怖”、”焦りと怒り”にさいなまれている場合が多いです。 単なる甘えや怠惰が理由である場合もありますが、ここで感じるのは本当に生命を脅かす恐怖です。

 

物わかりの良い親なら真剣に打ち明けた時点で適切な対処や対応をしてくれるでしょう。 ただ宗教が関わってくると親も一筋縄ではいかない人が多いのが現状です。

何をいっても「信仰が足りない」、「良く祈りなさい」、「牧会者に相談しなさい」、ひどい場合には罪人呼ばわりされることも(笑)

子供を一番理解しているべき親が信仰の名を借りて完全に育児放棄状態になってるケースも少なくありません。

「一生懸命教会に通ってるから家庭のことは天がどうにかしてくれるだろう」

「祈っていれば子供にも私の気持ちが通じるだろう」

「子供が反抗するのは私の精誠が足りないせい、もっと沢山活動しなくては」

完全なる見当違いと他力本願。 こうなってしまうと子供(特に未成年)にはできることがほとんどありません。イライラを募らせつつ我慢するしかないのです。

 

さて、前置きが長くなりましたが、もし上記の状態の中で当てはまる部分が多い思った2世はぜひ本を読むことお勧めします。

教会の講師、相談役、一生懸命活動している先輩たちは原理に基づいた同じような内容しか話しません。

つまり一辺倒な神様しか知らないとも言えます。

神様には他にどんな顔があるのだろうか?

共通点は?

そんな色んな顔を持って接してくる神様に手っ取り早く触れるには本が一番身近で安上がりというわけです(笑)

 

今まで私が読んできた中からお勧めできる本を幾つかあげておきます。

 
 

降参のススメ

 

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 プルーフ・オブ・ヘブン

 

天国と地獄

 

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神様と顧問契約を結ぶ方法

家庭連合(旧統一教会)の2世達へ・・・前書き

このブログは統一教会の2世(元2世)として生きる中で悩み、迷い、壁にぶつかりながらも答えを探し続けている若い2世達がこれからの人生を歩んでゆくうえで僅かばかりの参考になればと思い、立ち上げました。 

該当者以外の方には特に有益な情報では無いのでスルーしてください。

 

私自身も2世であり、今も教会の中核組織に所属しています。

親は宣教師で世界で最も貧しい国で20年を過ごしました。

親の不仲、愛の減少感、貧困、いじめに悩み高校卒業と同時に逃げるように家を出ました。

 

しばらく教会には一切近づかず、ほかの宗派を経験したりもしました。

留学先で様々な”俗世文化”に触れてみたりもしました。

一般の会社にも5年勤めました。

 

そして今、私はまた教会の中で暮らしています。

教会組織の中で働いて7年目を過ぎて思うことは、完璧な答えは”中(教会)”にも”外(一般社会)”でも見つけられなかったということです。

 

教会も結局のところこの社会の縮図でしかありません。 
多くの人々は同じように悩み、傷つき、もがいています。

そして一般社会の人たちと同じように未来の希望を信じて、一生懸命働き、献金をし(税金のようなものです)、信仰基準(ノルマのようなものです)を達成しようと努力しています。

 

そして一般社会と同じように一部の上位指導者は権力と財力を享受しています。

上層部で本当に何が起こっているのかは食口(庶民)が知る由はもありません。

 

結果的に、教会の中も外も生きづらさに関しては

それほど変わらないというのが私の出した結論でした。

どうして私がまた中に戻ってきたのかは、とても長くなるので割愛しますが、

一つ言えるのは「自分のルートや家族からただ逃げるだけでは、本当の癒しや幸福は見つけられない」ということです。

 

ではどうしたらいいのか? 
また親の希望通りに歩むのか、違います。

自分を偽り続けるのか、違います。

反対派に回るのか、それは解決策にはなりません。

 

具体的に何をどうすればいいのかは一人一人違いますので一概には言えません。

そして本当の”脱出”への道は本人が目と耳と心を開き、細心の注意を払って探し出すほかありません。 そしてその道しるべは誰にでもずっと示されているということに気づくことから始まります。

 

私もようやく道しるべを見つけたばかりで、まだ具体的な計画は立っていませんが

立ち止まらずに一歩一歩進もうと決めました。 

 

このブログも新しい歩みを始めるにあたっての決意表明でもあり、実験であるとも言えます。

 

ここに記した私の気づきや失敗がいつかどこかで同じように迷える2世達にとって少しでも自分の道を見つける参考になることを心から祈ってやみません。