宗教はツール

(注)ここでの見解はあくまでも個人的な経験をもとにしたものです。

 

統一教会に限ったことではありませんが、特定の宗教の中に生まれるとどうしてもそれが自分の運命だと思いがちです。

それが境界線となり、壁になり、限界を作ります。

 

なぜそうなってしまうのか。

広い概念では国家や社会にも言えることですが、排他的で特有の理念や価値観を強制することで人は他人との間に壁と限界を作り出すのです。

そのこと自体が問題というよりは、自分に合った理念を選べないという部分に私はもっと深刻な問題があると思っています。

 

1世の方たちは自分で選んでこの教会に入りました。それはあくまで自己責任です。

しかし2世達は意識的に選んで来たわけではありません。

「統一教会の2世は原理に沿って生きていくのが義務であり使命であり絶対服従しなければならない」と教えられますが、なぜ2世には他の宗教や他の考え方を選ぶ権利は無いのか、それに納得のいく答えを出せる人は教会の中にはほとんどいないと思います。

 

聞いたところでせいぜい「それが天の願いだから」とか、「そんなことを考えるなんて信仰が足りない」と諭されるのが関の山でしょう。

 

少し勉強すれば気づきますが、長い歴史を持つ伝統ある宗教はほぼ共通した理念を教えています。

1.神(創造主)の存在と偉大さ

2.自然(被造物)と人への愛

3.人として守るべき道徳と価値観

 

それぞれ特有の細々とした決まりや風習はありますが、主軸とする理念はおおむね同じです。

この事実を知れば、宗教は人間を支配したり、対立させるために作られたのではなく、神様から贈られた人をより高い真実へと導き、成長させるツールだと考えたほうが自然ではないでしょうか。

 

そしてツールはその使い道は変わらなくても人に合わせて、そして時代に応じて姿形が変化したり機能を進化させたりできるものです。

 

宗教に使われる人生か、使いこなす人生か、それは個人の選択にかかっています。