組織としての致命的な欠点暴いたり(今更!)

☆前置き☆ 
このブログは統一教会の2世向けであり、内容はどこまでも個人の見解・意見です(あと愚痴)

宗教に興味のない方、熱心な信者さんは読まれないことをお勧めします。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  

前回の記事でも指摘しましたが、この教会はとにかく行事が多いです。

そしてそのすべてが単発的なものです。

つまりそこから何か長期プロジェクトが始まったり、その後の進展があったりではないのです。

なので毎回同じようなことばっかりやってます。

 

なぜ長期的な取り組みが無いのか、その活動に向上や発展がみられないのかずっと疑問でした。 

世界平和を本気で実現したいなら地道な取り組みの継続とたゆみない向上心が基本中の基本だと思っていたからです(理想主義だなあー)。

 

でもこの数年で韓国人というかこの教会の指導部の致命的な短所を発見して謎がようやく解けた気がしました。

 

彼らには2つの致命的すぎる短所があります。

 

1.計画性が無い

2.継続力(マネージメント能力)ゼロ

 

これで組織として機能してるのがまさに奇跡ではないでしょうか Σ(・ω・ノ)ノ!

 

1番は総裁がすべての決定権を握ってるのでまあ仕方ないかなと思います。

鶴の一声で突然新しい企画が決まり、そして中止にもなります。

途中で急な軌道修正があったりもするので、計画性なんて無意味なのです。

(統一教会のモットーは絶対服従、絶対信仰ですので反対意見はご法度ソバット)

 

2番はもちろん1番の影響も大きいのですが、私が思うに韓国人の性分にも起因してます。

韓国人は長所も沢山ありますが、日本人から見ての短所(あくまで仕事面)は

  • 掃除しない(公共意識が薄い)
  • 細かい仕事は嫌い(データ管理とか連絡や確認業務とかメンドクサイこと)
  • 後輩を育てたり、指導したりする管理業務が嫌い(他人の面倒をみるのが嫌い)
  • 地頭で考えるのが苦手(すぐ他人の真似をする、楽なほうに考える)

 

こんなんなので管理、維持、継続とか誰もしようとしません(笑)

ぉ恥ずかしながらうちの職場にはまともなマニュアル一つありません(/ω\)キャー

 

えっ、こんなんでどうやって今まで教団を維持してきたの??

 

ごもっとな質問ですよね。

簡単なことです。真面目で努力家で地頭の良い実務者(ほぼ日本人メンバー)がメンドクサイ業務や無理難題を陰ながら処理してきたからです。

良くできてますよね。表舞台は韓国人指導者、裏では日本人や外国人メンバーが必死に作業中。

 

別に人種差別とかじゃないですよ。 適材適所というやつです。

実際ほとんどの地域教会の総務業務や掃除、備品管理や食堂運営など、ほとんど現地にお嫁に行った日本人メンバーがやってるのが事実なのです。

 

結論:日本人無しにこの教会は成り立たない!

 

皆さん自信をもって下さいね。そしてお母さんに優しくしてあげて (´・ω・`)(合掌)

 

 

 

無限!行事ループの内情

 ☆前置き☆ 
  このブログは統一教会の2世向けであり、内容はどこまでも個人の見解・意見です(あと愚痴)

  宗教に興味のない方、熱心な信者さんは読まれないことをお勧めします。

  ----------------------------------

  統一教会の2世ならこの教会の活動パターンは熟知のことだと思います。

  そう、とにかく行事(祭りごと)が多い! 

  一般の方は合同結婚式がメインイベントだと思ってるかもしれませんが、その他にも大小の行事が一年を通して毎月のように行われています。 韓国国内だけでなく、海外(もちろん日本を含め)でも精力的に講演会、○○大会、○○修練会が行われてきました。 リストアップするのも一苦労なんでそれは別の機会にまとめようと思います。

 

  行事のパターンも大体同じです。

  1.人を会場に集める(最低数百人~数千人規模)←動員というやつです

  2.演説、記念公演を延々と鑑賞(頭がおかしいんじゃないかってぐらい拍手を要求されます笑)

  3.万歳三唱で終了(観客の半分ぐらいは途中リタイア)

 

  あまりにも行事が長すぎて演説の内容なんて覚えてない人がほとんどだと思います。まあ、韓総裁の話はいつも同じなので2世としては聞き飽きたというのが正直なところだったりしますが。

  こんな感じなので「拍手教会」だとか「世界イベント本部」とか「韓国内の北朝鮮」だなんて内々で囁かれるのも致し方ないかなって感じです。

 

  では、なんでこんなに長ったらしくて面白くもないのに莫大な費用がかかる無毛な行事をやり続けるのか?

 

  答えはとぉーってもシンプル!

 

 

 

  • 上に報告するとき見栄えがいいから

 

  行事をやる側になって分かったのがこれ。 

  そう、これに尽きるのです(あ、涙が・・・)

  上とはもちろん韓総裁ですね。

  韓総裁を誉めたたえる演説と公演、拍手喝さいする大勢の信者たち

  「まだこの教会は大丈夫です! こんなに活気があります!」

  これをアピールするのに一番手っ取り早いのがこの祭りごとって訳なのです。

  ぶっちゃけ中身なんてどうでもいいのです。

  職員もこの事実を承知ではいますが、解雇されるのが怖いので目をつぶってるというのが現状です。

 

  もちろん、韓総裁に会えるだけで嬉しいという方もいるでしょうし、霊的な恩恵があると信じていらっしゃる方もいるのでその辺は自己満足で結構だと思います。

 

  しかしながらたった一日の行事に○億ウォン(数千万円)という費用が垂れ流しになってると知ったとき、そしてそれが一年に何回も行われている実態を目のあたりにしたとき、なぜこの資金を2世教育とかメンバーの福祉とか本当に世界に貢献できることに使わないのか疑問を持たずにはいられません。

 

 大きな天の摂理があるから・・・? 

 それとも

 本当にこの教会が末期だから・・・?

 

 

 それを見届けるのもまた一興だと思う今日この頃です(合掌)

  

  

 

  

 

  

 

   

  

  

 

  

統一教会のパラドックスを解き明かす

(注)ここでの見解はあくまでも個人的な経験をもとにしたものです。

  

2世としては統一教会の全てが間違っているとは思いたくないのが正直な気持ちです。それはこの教会の光と闇の部分両方を見ているからです。

神様を親と考える部分は他の宗教と同じだし、中には本当に社会に貢献している立派な人格者も沢山います。NGO活動を通して発展途上国の若者に新しい可能性を与えるという意味では慈善事業ととれなくもないです。

また、信仰というのはどこまでも個人の自由ですから、好きで信じてる人にとやかく言うつもりはありません。 2世についても同じです。この教会が自分に合ってるならそれに越したことはないでしょう。

ただこの世に完璧なものなどないのは確かです。宗教も同じ、妄信ほど危険なものはないというのは声を大にして主張したいです。

 

もし2世が教会に対してどうしても納得いかない疑問があるなら、その理由を一度しっかり突き詰めて分析してみることは自分の状況を客観的に判断するためにも重要な過程と言えるでしょう。

 

私がずっと感じてきた教会に対する最大の違和感の一つはその行き過ぎた韓国至上主義です。

とても簡単に言えば韓国語や韓国の文化伝統こそが正当な天の文化であり、それを全世界の人々が受け入れ、はたまた食口になり祝福を受けなければ天国に行けないと教えています。

 留学経験を含めてさまざまな文化に触れてゆく中で、上記の教えはあまりに独善的で矛盾が多いと感じるようになりました。

教会の定義には確かに“超宗教・超国家的な神様を中心とした一つの家族”というフレーズが含まれているのですが、肌で感じる実態はかなり違います。

  

その理由は表面的にはキリスト教を基盤にした信仰理念を提唱しているように見えますが、その本質は韓国儒教にずっと近いからです。

1.先祖崇拝:韓国文化は自分の血統と先祖を大変重要視しますが、統一教会はそれに輪をかけて、「先祖解怨と先祖祝福」なるものを義務化しています。

今日存在するすべての悪や不幸は人間の始祖が堕落し、その堕落性が代々受け継がれてきたせいであり、先祖たちは全員地獄で苦しんでるから、その子孫である私たちが解放して祝福結婚させてあげなければならないという理論です。←膨大なお金がかかります。

 2.親の絶対性:先祖崇拝に起因する孝行の精神、儒教は「孝」を徳のひとつとし、家庭において子が親に尽くすことを説きました。

教会では真の親、つまり教祖に絶対服従することが孝だと教えています。

天の摂理と真の父母のために殉職するのは本望だ的なことも言っています←本当に神様はそれを望んでいるのでしょうか? 何を根拠に?

3.情の世界:日本でも空気を読むとか、本音と建前がありますが、韓国にも独自の情緒があります。韓国では特にこの情が人間関係や物事に対する判断を大きく左右する傾向があり、善悪の基準すら気持ち次第でコロッと変わってしまうことが多々あります。

*ここでの”情”はフレンドリーさとは全く別物です。これはどこまでも血縁に対する情であり、博愛によるものではありません。

4.血縁主義:上記の延長になりますが、韓国人は自分の血縁である人には特別な感情を抱くようです。初対面でも血縁と分かれば態度が一転してまるで昔からの友人のように接してきます。 血縁者はどんなに遠い親戚でも「優先されるもの、守られるべきもの」として扱われる傾向があります。これによる不正雇用や天下りが後を絶たないのは誰もが知るところです。

教会内でも幹部クラスや中核組織への雇用は上層部の子女や血縁者が優先される傾向が強いのは否めません。

5.氏族の重要性:前述した血縁と情で結ばれてるのが韓国の氏族文化です。若い人たちの間では徐々に薄れつつある概念ですが、教会では氏族という概念を強調させて伝道を進めようとしています。アフリカなどの部族社会では通用するかもしれませんが、他の国ではどうなのか大きな疑問です。

6.嘘も方便:これも儒教の「理論性」から来てると思われますが、日本人が知っている事実をもとにした理論とはだいぶかけ離れています。つまり空論であったとしても相手を説き伏せさえすれば”勝ち”なのであり、それが正義になるのです。

 最初に宣言して根拠を後から理屈で埋め合わせるのは教会の常とう手段です。

 

韓国の儒教文化はとても特殊なもので、全世界の人類に受けれられるようなものではありません。韓国人自体はその事実に気づいていないようですが(笑) 

この本質が変わらない限り統一教会のこれ以上の発展は難しいと感じずにいられません(合掌)

外に出てからも守ってて良かったこと‐心身の健康

2世なら一度は普通の生活に憧れたことがあると思います。

大学からは一人暮らしを満喫したい、一般社会でも認められる仕事がしたいなど、外の世界へ出る準備をしている人もいるかもしれません。

そんなリベラル派の2世達へ以前自分が社会生活をした時に守ってよかったと思った点を幾つかあげておこうと思います。

  

  • 禁煙‐これだけは必ず守ってほしいNo.1 タバコは百害あって一利なし!    興味本位でも絶対にやめてください。全身全霊で避けるべし!
  • 禁酒‐これも守ったほうがいいですが、体質にもよるので適切な量を守ってと言ったほうが正しいかもしれません。(教会内でも飲んでる人は飲んでいますし)
  • 節操‐外で教会の理想とする交際相手を見つけるのは至難の業です笑 漫画やドラマの知識ぐらいしかない純情な2世は男性を見る目もないので(失礼)変な男に掴ったり、遊ばれたあげく最悪の場合は性病に感染したり命の危険にさらされることもあります。恋愛が悪いわけではありませんが、こればかりは最初に親の承諾を受けてからお付き合いするなど慎重に慎重を期すことをお勧めします。

  また仲間や友達も共通の価値観を持っている人を選んで付き合うことがとても重要になります。似たもの同士は引き寄せるからです。

  周りに流されて風俗や低俗なものに触れないようにしっかり自分で線引きをする能力も外では必要になります。ドロドロとした愛憎劇に巻き込まれるのが嫌なら日常からちゃんと断る勇気を出すことが大切です。

  • モラル‐外に出たからといってモラルの基準を下げていいという事にはなりません。逆にモラルの高い部分こそが2世であることの最大の強みなることに気づいてほしいと思います。年上に敬意を払うこと、お金を大切に使うこと、ために生きること、多くの人が殺伐とした日常の中で忘れがちな人間美だと言えるのです。

 

自由社会は逆に言えば私生活の縛りがないので、自分がしっかりしないとどこまでも堕ちてしまえる世界です。特に健康面は自己管理が何より重要になってきます。

職場の人たちが毎日の喫煙や飲酒で歯や肌がボロボロだったり、薬漬けだったり、大きな手術をしたりするのを見ながら、禁酒・禁煙を守っていて本当に良かったと痛感しました。(この点に関しては教会に心から感謝しています笑)

 

また教会を出たとしても、自分なりの生活の基準や信念が無いまま周りに翻弄されてばかりでは結局外に出ても自分の人生を歩めているとは言えないのではないでしょうか?

 

自分探しのために外に出ることは貴重な体験になることは確かですが、冒険に出る前には綿密な準備と心構えを持ってのぞまないと私のようにいちいちトラップに引っ掛かりながら学習するというとんでもなく痛い経験をすることになりますので、くれぐれもご注意下さい(合掌)

 

〇〇と教会は使いよう

メディアでは完全にカルトととして定着してしまった家庭連合(旧統一教会)ですが…2世としてはそれだけで教会との関係を簡単に断ち切れるものではありません。

 

特に未成年の場合は実力や経済力の面でも急に独り立ちするのは難しいでしょう。

また温室育ちの2世が中途半端な決意で飛び出しても外の世界はもっと厳しいことを目の当たりにするだけです。

 

そこで私がお勧めするのは「統一教会を使い倒す」こと(笑)

 

私が学生の頃は日本人の2世もまだ少なく、教会は宣教と伝道に明け暮れていて2世に対するケアやサポートなど身近にはほとんどありませんでした。 教会が嫌なら家を出るか引きこもるかぐらいしか選択肢はなかった時代。

 

それに比べれは今は2世こそが主役の時代になりました。

2世に対する人材育成に力を入れるようになり、語学留学プログラムや奨学金制度も作られました。

祝福も絶対祝福から自分で決めることができる“お見合い”形式になりました。

2世の数も爆発的に増え、その分サポート体制も以前よりはだいぶ改善されたと言えます。

 

つまり今の若い2世はこの環境を上手く利用することで、より効率的(そして平和的に)脱出する道を準備することが可能だということです。

 

1.何よりもまず、一度日本から脱出するべし!

日本の統一教会は他の国のとは比べ物にならないほど超絶ブラックです。

献金の額、食口に求められる信仰の基準、祝福の基準、すべてにおいて他の国より数倍~数十倍高い基準とノルマを課せられているのが現状です。

これではもはや宗教というよりは資金調達屋でしかありません。

(ノーと言えない日本人の生真面目さにも問題がありますが・・・)

 

教会内で提供される語学留学、大学留学、青年宣教、文化交流などなんでもいいので、海外に出て英語(または他の語学)を死ぬ気でマスターしましょう。

 

他の国の文化に触れることで世界が広がり、沢山の気づきや勇気や癒しをもらえることもあります。

 

そしてもし本当に運が良く、海外の大学に行けたなら第一次脱出成功です(笑)

教会の〇ムン大学に行っても悪くはありませんが、神学以外を専攻することをお勧めします。

 

2.専門性と社会経験を身につける

語学を取得するだけでも世界は一気に広がります。

海外の大学を卒業し、現地または日本で好きな仕事に就けたならそれほど幸運なことはないでしょう。

ただ多くの2世(特に日本人)は最初から外の世界でバリバリやっていけるほどタフだとはいいかねます。ましてや長引く不況の中では就職率は悲しいほどい低いのが現実です。

 

そこで使えるが教会関連の団体・企業です。

一定の分野に限られますが、教会内でも法人として認められている企業や団体があります。 代表的なものが女連や青連です。特に女連は国連認定の機関なので利用価値は高いです。

 

語学ができるなら大手の海外NGOでのボランティアやインターンシップもお勧めします。草の根活動的な部分ではNGOの精神は教会と通じる部分も多いので馴染みやすいともいえます。

 

 3.ネットワークづくり ⇒ 独立を目指す

 これが私の考える最終段階と言っても過言ではありません。

 

私たちが2世であることはどんなに否定しても一生ついてくる事実です。

その中に家族との絆や良い思い出も多少なりにあったはず。

その事実を隠しつつ生きることはそれはそれで苦しいものです。

 

幸いなことに時代は変わりつつあり、企業に勤める以外にも努力次第で安定した収入を望める働き方が増えてきました。

 そしてもう一つ幸いなことは今は世界中に沢山の2世がいるということです。

 あなたの努力次第で同じ価値感を共有できる仲間とグローバルなネットワークを作ることができ、その可能性は無限大です。

 

これからは文化の時代、クリエイティブな人が成功する時代だと言われています。

そしてそれは2世にとっても今までなかった新しい生き方や、思いのままに自分を表現することができる最高に恵まれた時代になる予感がします。

 

何も偉大なアーティストになる必要はありません、ネットショップを立ち上げたり、ブログをやってみたり、Youtubeで配信してみたり、同好会を作ってみたり、手の届くことからコツコツと経験を積んでいくことで是非時代の波に乗れる2世を目指してほしいです。

宗教はツール

(注)ここでの見解はあくまでも個人的な経験をもとにしたものです。

 

統一教会に限ったことではありませんが、特定の宗教の中に生まれるとどうしてもそれが自分の運命だと思いがちです。

それが境界線となり、壁になり、限界を作ります。

 

なぜそうなってしまうのか。

広い概念では国家や社会にも言えることですが、排他的で特有の理念や価値観を強制することで人は他人との間に壁と限界を作り出すのです。

そのこと自体が問題というよりは、自分に合った理念を選べないという部分に私はもっと深刻な問題があると思っています。

 

1世の方たちは自分で選んでこの教会に入りました。それはあくまで自己責任です。

しかし2世達は意識的に選んで来たわけではありません。

「統一教会の2世は原理に沿って生きていくのが義務であり使命であり絶対服従しなければならない」と教えられますが、なぜ2世には他の宗教や他の考え方を選ぶ権利は無いのか、それに納得のいく答えを出せる人は教会の中にはほとんどいないと思います。

 

聞いたところでせいぜい「それが天の願いだから」とか、「そんなことを考えるなんて信仰が足りない」と諭されるのが関の山でしょう。

 

少し勉強すれば気づきますが、長い歴史を持つ伝統ある宗教はほぼ共通した理念を教えています。

1.神(創造主)の存在と偉大さ

2.自然(被造物)と人への愛

3.人として守るべき道徳と価値観

 

それぞれ特有の細々とした決まりや風習はありますが、主軸とする理念はおおむね同じです。

この事実を知れば、宗教は人間を支配したり、対立させるために作られたのではなく、神様から贈られた人をより高い真実へと導き、成長させるツールだと考えたほうが自然ではないでしょうか。

 

そしてツールはその使い道は変わらなくても人に合わせて、そして時代に応じて姿形が変化したり機能を進化させたりできるものです。

 

宗教に使われる人生か、使いこなす人生か、それは個人の選択にかかっています。

 

 

 

飛んで火にいる夏の虫‐自分を知ること

もうウン十年前の話になりますが、学生の頃は教会さえ出れば理想の世界を見つけられると思っていました。

気の合う仲間、好きな仕事、安定した生活・・・しょうもない甘ちゃんだったわけですね(笑)

 

“外”の人たちが激しい競争社会の中でどれほど死に物狂いで努力しながら生きていて、その中で繰り広げられる喜怒哀楽と愛憎のドラマを目の当たりにしたとき、教会内の“理想”しか知らなかった私にはまさに弱肉強食の世界でした。

 

 そのように自分のみを信じて強く生きようとしている人達の姿に大きな尊敬と憧れを感じると同時にこの現実に対する重圧感と恐怖で押しつぶされそうになりました。 

 (すでにずっと鬱気味だったのもあります。)

 

留学先で友人からよく言われたのは「You are so naive」=世間知らず・純情だね、でした。

流行や男女関係そして成功するために必要な処世術などなにも知らない私はよほどまぬけに見えたことでしょう。 

かと言って周りの子たちのように自由奔放になる勇気もありませんでした。

完全な教会の温室育ちの私には一般の常識はあまりにも過酷でした。

 

留学先に私の教会は無く、2世もおらず、一般の子たちとなじむこともできず、なんの覚悟も準備もしていなかった私はとても中途半端な立場で外に出ても結局葛藤ばかりの学生生活送るしかありませんでした。 せめてもの救いは英語が好きだったのと周りが他宗教にもオープンな環境だったという点でした。

 

あの時は「なぜ私ばかりこんなつらい目にあうのか」と常に怒りで心を焦がしていましたが、要は自分の実力と自分自身をよく分かってなかったの一言に尽きると思います。

 

自他とも認める天性の才能があったり、外にいってもしっかりと導いてくれる人物、仲間がいたり、目標を達成するためのしっかりした(かつ現実的な)計画があるなら、”外”に飛び出すことは勇気あるチャレンジと言えるでしょう。

 

でももしあなた昔の私のように世界を単純な白と黒(好き・嫌い、良い・悪いなど)としか考えず、ただ感情に任せて出ようとするなら、それは無鉄砲でありひどい遠回りになると危険性が高いと言わざるを得ません。

 

私のようにもともと頑固でわがままな性格の場合、このような荒治療が有効?だったとも言えますが、また同じ経験をしろと言われれば絶対に避けたいものです(笑)

 

2世の生活を一秒でも早く逃げ出したいという気持ちは痛いほど分かります。

それは本心の叫びであり、抑えようとして抑えられるものではないことも知っています。

最終的に外へ出れる自分になることがあなたの運命なのかもしれません。

 

ただあなたがもし私よりも運が良ければ、少しだけ冷静になって素直に今の自分の足りない部分を認める勇気を持もってから行動してもらえることを願ってやみません。